“この世界の片隅に”は限りなく実話に近い【感想・ネタバレ】
「………」
“この世界の片隅に”をはじめて観たあと、いろんな感情がグルグルしててしばらく体を動かせませんでした。
おはようございます。ゲーム中毒気味だったので、毒気を抜くためにアマゾンのプライムビデオでいろんなものを観まくっているローシュです。
“この世界の片隅に”の映画版を観た感想など、ダラダラ書いていきます。
※ネタバレが多分に含まれていますので、未視聴のかたは、とくにご注意下さい。
見出しで拾い読みする?
視聴1回目
「生活の細部まで描写されてて、かなりリアリティあるな」という印象で、かなり実話感のある映画だった。
でも細かく見ていくと、やっぱりフィクションだなと思える部分も出てくる。
バケモンとすずと周作と妻と私
冒頭のバケモンの話は、すずの作り話、完全なフィクションだと思っていた。
「想像力豊かで、絵も上手なんだな」くらいにしか思っていなかった。
これが重要な伏線だったということに、私は1回目の視聴で気づかず、見終わったあと、wikiで調べて知った。
妻(“この世界の片隅に”1回視聴)に話したら、
「なんでわかんないの? 周作も「会ったことがある」って言ってたし、最後らへんで二人ともバケモンに反応してたの見てもわからなかったの? ウソでしょ?(馬鹿なの?)」
みたいなことを言われた。
床入り問答(傘問答)
「傘は持って来たかい?」
「はい。新(にい)なのを一本」
とかいうアレ。
ばっさまの雰囲気で、すぐに
「初夜のヤル前のやり取りだな」とすぐ勘づく私。(こんなことには敏感)
映画中では、すずと周作の傘問答の直後、周作が傘を使って干し柿を取るので、見ている側は肩透かしを喰らう。
でも、明確には描かれないけど、そのあとやることやってるよねたぶん。
あとですずが
「最近食欲ない」とか言ったときに二人で焦ってたし、心当たりがあるってこと。
単にこの映画には、その描写(性的な描写)は不必要だったというだけ。
ところで床入り問答は、地方でいろいろあるようで、さすがに馬問答は笑ってしまって気分が萎えそうだと思った。
楠公飯(なんこうめし)
どんだけマズイんだろうか?
食べてみたいような、そうでもないような。
スパイ疑惑
憲兵が来て怒鳴っているときに、お母様とねえさんが顔を赤くして泣きそうになっているのを見て、
「不名誉なことなった」と思って悔しがっているのかと思ったら、なんてことはなかった。
「普段のすずを知らんバカ憲兵が。こいつがそんなことできるか」と笑いをこらえていただけだった。
面白いけど、真面目な雰囲気だから笑っちゃいけないって辛いよね。
学校の朝礼で校長がしゃべってるときに風がふいて、校長のヅラがずれたときとか。
2000馬力の~
「おやっさんが自信を持って言うからには、それなりにすげえんだろうな。でも結局日本は敗戦したし、自分達はすごいって思い込んでるだけだろうか?」とか思ってたら、普通に当時の世界水準だった。
2000馬力のそのエンジンの名は、譽(ほまれ)エンジン。
そしてそのシーンで戦っていた戦闘機は、譽エンジンを積んだ紫電改のようだ。
しかし当時は入手できる燃料とオイルの質の悪化により、性能を十分に発揮できなかったようで、それでもおやっさんたちは、自分たちにできることを頑張ってたんだろうと思うと胸が熱くなる。
ってかマジでおやっさんの豪気さにシビレル。
空襲中に畑で寝るとか。
慣れというか、そのくらいの気持ちでなきゃやってられないというか、そう考えると、空襲も日常の一部になってしまってたんだなぁと、人間の強さを思わせるシーンだった。
入湯上陸
すずのところに、幼馴染みの水原哲がやってきた。
すずと哲のやりとりを見て、周作は嫉妬したんだろうね。
「お前はあっちのほうがいいんだろ?」みたいな態度を取っちゃってまあ。
で、すずはすずで一瞬哲を受け入れるような素振りを見せたから、見てるこっちは
「おいおいおい、まじか、まじでか」って目が離せなくなるわけですよ。(不純)
ここでちょっと話をそらす。
元素から
“この世界の片隅に”のキャラクターの名前は、元素の名前をもとに考えられている。
で、すずは原子番号50のSnね。
周作は原子番号35のBrね。
スズと臭素は激しく化合する。
ついでに臭素は原子番号15のP(リン)とも激しく化合する。
原作では周作と白木リンは関係があったことが描写されているようだし、このへん考え始めると面白かったり面白くなかったりする。
終戦
すずが玉音放送を聞いたあと、畑で泣きながら語った台詞は、どういう論理でそういう言葉になったのか、よくわからなかった。
たぶんすずも、ぐっちゃぐちゃだったんだろう。
右腕を無くし、姪を亡くし、それでも日本が勝つことを信じて、苦しい生活でも耐え、繰り返される空襲に耐えてきたのに、負けた。
だったら今までの苦労は、犠牲はなんだったのか。
そんなことを思っていたのだろう。知らんけど。
あとは、着底した青葉(重巡洋艦)を眺めている哲を見かけたすずが、どうして声をかけなかったのか、その心情がわからない。
養子に
親を亡くしたあの子。
すずに母親の影を重ねてなつき、すずと周作の養子になったようだけど、なんかキレイにまとめるために出された感があって、違和感。
「ああ、この子はこれから、いろんな人の愛情を受けて育っていくんだなあ」と思って、感動して涙でちゃったけどね。
「じゃあ晴美が生きてたとしたら、どうなってたん?」と思わずにはいられない。
日常とは(まとめ1)
なんなのか?
毎日空襲があったら、それはそれで日常になってしまうのかな。
戦時中であれ、平和であれ、みんな笑って暮らせたらいいのに。
今の日本は平和だけど、笑顔が多いとは言えないよね。
満員電車、長時間労働、休日出勤、消える年金、人口減少、性差別、いじめ、虐待、温暖化…
みんな笑って暮らせたらいいのに。
“子供のように振る舞えば、たいていのことは笑って許されるのかも”の記事に書いたように、結局は、楽しくなるためには、どんな環境であれ、自分自身がその場で楽しくしようとすることが、一番大事なんじゃないかな。
以上、視聴一回目の感想でした。
しきりに「一回目一回目」言ってるのは、きっとこれから何回も観るからです。
観たらこの記事を更新していきます。
“この世界の(さらにいくつもの)片隅に”も楽しみですね。
なお、一回目視聴後に調べたり、参考にしたサイトは以下。
- この世界の片隅に【映画】-公式サイト
- この世界の(さらにいくつもの)片隅に【映画】-公式サイト
- この世界の片隅に-Wikipedia
- この世界の片隅に(映画)-Wikipedia
- 新婚初夜の作法~
- 誉(エンジン)-Wikipedia
- 紫電改-Wikipedia
視聴2回目(2019/4/16追記)
日焼けと右腕
19年7月あたりでは、すずの肌は日焼けで黒くなっている。
外仕事を頑張っているであろうことがうかがえる。
対して、20年の夏、すずの肌は白い。
右腕を無くし、外での仕事の多くを、ほかの人(おもに径子)が担っていたのだろう。
こういった細かい描写が、あるから、よりリアリティをもって視聴者に訴えかけてくるのだろう。
「え?あ、あ~、すずさん!」
周作から電話があって、すずが呉鎮守府軍法會議まで手帳を持って行ったときの、周作の最初の反応。
わかる。わかりすぎる。
普段ほとんど化粧してない人が、しっかり化粧してると、誰だか認識できるまで、3秒くらいかかる。
冗談じゃなくマジで。
警報飽きた
空襲中に防空壕で晴美が
「警報飽きた~」と言うシーン。
なんか懐かしさを覚えると思ったら、ちょうど3年前の熊本地震のときの警報を思い出してた。
避難所にいて、一斉に鳴り響くスマホの警報音。
寝てるときでも容赦なく地震は来るし、警報も鳴る。
「どうせ大したことない」と思って何もしないで何かあったら嫌だから、一応警戒態勢をとる。
で結局たいしたことなくて、
「どうせ…」
という思いが強くなる。
4月にテルさんの紅を握りしめた?
すずが無くなった右手を見ながら、
「◯◯のとき、△△した右手」と思い出しているシーン。
「4月にテルさんの紅(べに)を握りしめた右手」と言ってるけど、そんなシーンどこにも描かれてないよね。
ってかテルさんて誰?状態。
原作には出てるようだけど、映画ではカットされてるみたい。
あとですずが空襲中に
「広島帰る」と言い出したときに割れた紅が、きっとその紅なんだろうけど、映画ではその紅がなんなのか視聴者にわからないから、なんか紅にインパクトあるけど、インパクト出した意味がわからないシーンになってる。
“この世界の(さらにいくつもの)片隅に”として補完されることで、また印象が変わってきそうなシーン。
ハサミで髪バッサリ
あんな量の髪をいっぺんにハサミで切るの、難しいんだよね。
力は要るし、なにより、切ろうとする髪を引っ張ってないと、ハサミを閉じたときに髪が逃げる。
そしてよく見たら、ハサミは右利き用なんだよね。
左手で右利き用のハサミを使うのって、難しいんだよね。
その二重の難しさを乗り越えて、すずは髪を一回でバッサリいった。
どんだけ切れるハサミだったんだろうか。
水原は死んだ?
すずが
「何の船がおったか見えたよ」とか言ったこと、
哲の
「笑って思い出してくれ」というセリフがすずの脳内で再生されていたことから考えると、あれは幻影だったのかな。
つまり、刈谷さんには哲も青葉も見えていない。
あの子、被曝してるんじゃないの?
やっぱり最後に出てくるあの子が気になる。
感動演出のために出された感というか、やっぱり違和感。
爆心地あたりをウロウロしていたはずで、かなり被曝しているはず。
ならすぐにでも原爆症を発症してもおかしくない。
すずの実父と妹のすみは、キセノを探しに原爆投下直後の広島市内に出入りしていて原爆症になった。
父の十郎は、それで亡くなっている。
だというのに、なぜ、あの子はその後も元気に過ごしているように描写されているのか。
それがわからない。
わからないから、ただの感動演出要員と思えてしまう。
やっぱり実話ではなさそう(まとめ2)
視聴二回目になり、大筋はわかっているので、より細部が見えるようになった。
そしてアラが目につく(笑)
最初は
「実話なのかな」と思って観ていたけど、
「実話を元にしていたとしても、盛ってるところあるよね」という感想になった。