散歩道に落ちたゴミを拾うのに、こんなに心理的な抵抗があるなんて
どんよりとした空。
『もうすぐ雨でも降るのかな』
と思わせられる、生ぬるい風。
仕事の合間に、本を読みながら、いつもの田んぼ道を散歩をしていた。
ふいに、文章を追いかけていた目が逸れる。落ちているゴミが意識に上った。
『拾おうかな』と歩く速度をゆるめたが、川向かいの田んぼで農作業をしていた人が気になった。
『どんな目で見られるんだろう?』
『偽善者と思われないかな』
そんな不安が頭をよぎり、ゴミをスルー。
スルーしてしまった気持ち悪さを紛らすために、いったん思考が飛ぶ。
『なんでマック民は民度が低いんだよ』
『いや、一部のマック民が低いだけで、ほかのまともなマック民は関係ないか』
『むしろたまにしかマック買わないようなやつほど散らかしてるという可能性は?』
『マックは販売数が多いからゴミが目に付きやすいというだけで、ほかの食い物のゴミも散らかってるよな』
そんなことをひとしきり考えたのち、思考が戻る。
『なんで自分が気になったから拾おうというのに、人の目が気になるのか』
『ゴミがウザイから拾う、ただそれだけだ』
『やっぱり拾おう』
『でもけっこう量あったし、ゴミ袋を家からもってこよう』
と考え、足を家に向ける。なお、この間、目は本を見ていたが、内容は一切頭に入ってこなかった。
家について本を置き、代わりにゴミ袋を手にし、再び田んぼ道へ。
『やるのか?本当にやるのか?』
『やれるのか?』
『まだ農作業してる人いるぞ』
『散歩してて近づいてきてる人もいるぞ』
ゴミに近づくにつれて、体がほてっていくのを感じた。
そうこうしているうちにゴミのすぐそばに着いてしまった。
『いや、くらしを楽に・楽しくするメディアサイト-らくらくらし-の運営責任者なんだから、これくらいやって当然でしょ?』
自分にハッパをかけ、意を決してしゃがみ、チーズバーガーの包み紙、茶色の紙袋、ナプキンを拾ってゴミ袋に突っ込んでいく。
どんどん早くなる心拍、ほてる体。
拾い終わって、周りが気になった。
『見られてなかったかな』
『変な人と思われてないかな』
まだ、周りの目を気にしている自分がいた。
でも
『周りを見たら「勝ち誇りやがって」とか「拾ったアピールうぜえ」とか反感買わないかな』
とか考えて、周りは見ないようにして、ゴミ袋をぶら下げたまま、家にまっすぐ帰った。
そしてこの文章を書いている。
どうしてやりたいことをやるのに、正しいことをするのに、こんなに変な緊張感があるのだろう。
きっと周りに誰もいなければ、誰にも見られていない確証があれば、なんとも思わずに拾えたに違いない。
実際、この前はプリッツの空き箱を拾って帰った。
ほかにも目につくゴミは拾ってる。(本を読みながらだから気づいてないゴミも多いはず)
タバコの吸い殻は拾わない。
オッサンが口をつけたものなんて、臭い。汚い。触りたくもない。
まあ俺もオッサンだけど。
『誰かに見られてる(かも)』
これだけで、人の行動・心理状態は大きく変わるものなんだなって、気づいた。
でも、自分がやりたいこと、正しいと信じたことだったから、今回は意を決して拾った。
『“意を決して”なんて言うほどか?』
と自分で思うほど、頭は冷静だった。
でも、
『くらしを楽に・楽しくするメディアサイト-らくらくらし-の運営責任者なんだから、これくらいやって当然」
と、自分のあるべき姿を文章化しないと、行動に移せなかった。
『自分がやりたいこと、正しいと信じたことだったら、さっさとやれば?』
と、今までの俺なら言うだろう。
でも、周りの目に影響を受けている自分に気づいてしまったからには、もう言えない。
これから“やりたいこと・正しいと思ってるけど、周りの目が気になって行動に移せない人”がいたら、
「なりたい自分・あるべき自分の姿を文章化すると、周りの目が気になっても、行動に移せますよ」
とアドバイスしようと思った、梅雨入り前の散歩道。