愛と許しの重要性。おとうさんとおかあさんがおこるとかなしい…けど、おとうさんもおかあさんもだいすき
「おとうさんとおかあさんがおこるとかなしい…けど、おとうさんもおかあさんもだいすき」
これは、娘(もうすぐ3歳4ヶ月)と一緒に公園で遊んでいるときに、娘が突然発したセリフをそのまま書き起こしたものです。
なんか、泣きそうになるのはなんでかな…?
小さい娘にこんなことを言わせてしまっていることや、普段ついつい怒ってしまうこともあって、罪悪感というか、そんな感じ。
私と娘を対等な人間関係だと考えれば、娘のほうが、はるかに大人な感じすらします。
「あなたが怒ると私は悲しい。だけど、それでもあなたが好きだから、一緒にいる」ということですよね。
許されている、愛されていると感じます。
そこで私は、
「私が怒ってしまうことを娘が許してくれるから、私はつい娘を怒ってしまうのだろうか?」
「本当に怒る必要はあるのだろうか?」と自問しました。
もし娘から許されているから私の怒りが出ているのだとしたら、甘えているのは、まだ幼い娘よりも、私のほうだと言えます。
怒る必要性については、怒ることで娘の成長が促されているようにも見えません(ストレス耐性は上がっているかもわからん)し、むしろ“子供のおもらしが再発したときどうする?”の記事に書いたように、おもらし頻度が上がってしまうことからも、基本的には不必要であると言えそうです。
対して、大人同士ではどうでしょうか?
「あなたが怒ると私は悲しい。むしろムカつく。だからあなたと一緒に居たくない」となりがちです。
そこに許しも、愛もありません。
そして、怒ってくる人は敏感にも、
「一緒に居たくない」という思いを感じ取り、
「私のこと嫌いなんでしょ?」と思うようになり、さらに攻撃をエスカレートしていきます。
ええ、もちろん私の経験談ですよ(苦笑)
ここでちょっと昔の話をします。
私がはじめて会社員になったころ、気に入らない上司(こう思う時点でナメてるよね(笑))がいました。
その上司から
「○○のときは、△△しなさい」と言われて、
私は
「なんでですか?」と即座に聞きかえすような悪態ぶりでした。
自分で考えようともせず、
「お前の思うとおりに俺を動かしたいなら、俺にわかるように説明して、納得させてみろ」って態度です。
いまさらながら我ながらヒドイ(苦笑)
で、上司はまともに説明してくれないもんだから、私は
「説明できないこと命令すんなよ、うぜぇ」とか思っていて、完全に
「お前が嫌いだ近寄んな」というオーラを出していたはずです。
結局、さっき言ったように、その上司からの当たりはどんどんきつくなり、私はその職場での居心地がどんどん悪くなっていきました。
(どうしても周りは上司の肩をもちがち。自分も目をつけられて追い詰められたら嫌だもんね。わかるつもり)
そして私は居心地が悪くなると同時に、体調を崩すことも多くなり、その職場から退きました。
もしあのとき、あの人の怒りを許せていたなら、愛ある対応をできていたなら…
どうなっていたんでしょうか?
きっと、その上司からの攻撃は収まっていたことと思います。
許し、愛しているうちに、私のほうが上司が求めるレベルになっていたはずです。たぶん。
まとめと余談
聖書じゃないけど、愛と許しは大事だと思う。
愛し、許せる者は、成長するのです。たぶん。
だから子どもは、すごい勢いで成長するんです。たぶん。
許しと愛を捨ててしまったら、そこで成長が止まってしまうのです。たぶん。
そんなことを思いながら、私は今後、子どもと、そして周りの人たちと向き合っていきます。